忘れチャイナの青い鳥
1980年代の後半~1990年代の始め頃、大宮駅の近く、大宮南銀座、通称“ナンギン”にライヴハウス“大宮フリークス”があった。
当時の東京以外にあるライヴ・ハウスの中ではけっこう大きい方だったと思う。
地元や関東近郊のアマチュア・バンドから、動員の多いインディーズ・バンドやプロのバンドまで出演していて、高校時代から、卒業して数年の間出演していた我輩も、何度かプロのバンドと対バンを組んでもらったことがあった・・・んだけど、まあプロの前座だから何百人の前でやったとかじゃなくて、音源をメジャーから出している人たちでもフロアは閑散とかそんな感じの日ばかりだった。
予定表を見ると懐かしいあんなバンド、こんなバンド、後のビック・ネーム、今も第一線で活躍しているアーティストがたくさん出ている。
目ぼしいモノを挙げていこうかと思ったが、メンドくさいのでやめた!!
例として1988年7月は・・・
その月の押しているアーティストは写真つきで掲載していて、X(復活)とウイラード(現役)の写真が隣り合って載っている。
さらにBO・GUMBOS、ゲンドウミサイル(現役)、THE ROCK BAND(アナーキーね)、大田貴子(クリィミーマミ)・・・そしてXよりウイラードよりナニよりカニより、“いんぐりもんぐり”が載っているのだ。
お客さんとして我輩は誰のライヴを観たっけ?
と、記憶をほじくってみると・・・
リアクション・・・後にツアーの模様を収めたビデオにも収録された日のライヴ。アルバム『TRUE IMITATION』と『REACTION』の間にやったツアーの公演。
シェイディ・ドールズ・・・『虫かごの街』が1曲目だった気がするからアルバム『THE BAND ON THE ROOF』のツアーとかかな。
COLOR・・・ミニ・アルバム『FOOLS GET LUCKEY』のときで、ドラムのTOSHIが怪我で欠席、このツアーはXのYOSHIKIとガスタンクのPAZZをヘルプに迎えて乗り切ったのかな?大宮ではPAZZが叩いた。
新曲を演奏するとき、DYNAMITE TOMMYは床に貼ってある歌詞のカンペを見ながら歌っていたな。
サブラベルズ・・・メジャーで2枚目のスタジオ・アルバム『ONE NIGHT MAGIC』発売記念のトーク&ライヴ。昼間のライヴで、無料招待制だったかな?
「キーチが病気で来れなくなったので、メンバー4人だけでトークのみにします」→メンバー・トーク→「キーチがなんと来てくれました!いまからライヴやります!」「ウォーー!!」とゆう流れがったんだが、あれは本当に病気のキーチが遅れて来たのか、ステージ前につめかけた客を一旦クール・ダウンしてトークを聴きやすくする配慮だったのか、ドッキリ的演出だったのか、他の理由でトラブルがあったのか。そのライヴに行った仲間達との推理は、あの後しばらくして大幅なメンバー・チェンジ、ファンからすると解散に等しい脱退劇があったので、どうもすでにこの頃からゴタゴタを抱えていたんじゃないか?とゆうことだった。実際のところはどうなのだろう?
X・・・Xは客として1回(かな?)、警備スタッフとして1回観ている。インディーズでフル・アルバムを出した後のXは各地でライヴ・ハウスの動員記録を塗り替えているような状況だったので、この日はフロアをロープで仕切り、前と後に分けてライヴが行われた。
高校生にセキュリティやらせるか!?って今となっては思ってしまうが、友人から話が回ってきた。
お金ってもらったんかな?忘れた。
通常、警備員はステージに背を向けて警備するがこの日の役目はフロア真ん中に張られたロープから客が前に行かないように抑えることだったので、背中でおしくら饅頭する要領でステージの方を向いて仕事をし、「ライヴが観れてこりゃラッキー!」とか思いながらやっていた。
でも途中、あまりのパニック状態で潰されそうになって怖かったけどね。
他にもいろいろ観た気がするけど・・・まあいいや。
高校の先輩が出演するライヴを観に行ったら、対バンがツアーで来ているインディーズ・メタル・バンドだったとゆうのはいくつかあったと思う。
そんな大宮フリークスだが、バンド・ブームも終わった頃か・・・騒音問題の立ち退きか何かで閉店してしまった。
あれ?こんなに通ったっけ??
バンドで使ってた練習スタジオに備え付けてあるのを持ってきたのが混ざってるかも。

当時の東京以外にあるライヴ・ハウスの中ではけっこう大きい方だったと思う。
地元や関東近郊のアマチュア・バンドから、動員の多いインディーズ・バンドやプロのバンドまで出演していて、高校時代から、卒業して数年の間出演していた我輩も、何度かプロのバンドと対バンを組んでもらったことがあった・・・んだけど、まあプロの前座だから何百人の前でやったとかじゃなくて、音源をメジャーから出している人たちでもフロアは閑散とかそんな感じの日ばかりだった。
予定表を見ると懐かしいあんなバンド、こんなバンド、後のビック・ネーム、今も第一線で活躍しているアーティストがたくさん出ている。
目ぼしいモノを挙げていこうかと思ったが、メンドくさいのでやめた!!
例として1988年7月は・・・

その月の押しているアーティストは写真つきで掲載していて、X(復活)とウイラード(現役)の写真が隣り合って載っている。
さらにBO・GUMBOS、ゲンドウミサイル(現役)、THE ROCK BAND(アナーキーね)、大田貴子(クリィミーマミ)・・・そしてXよりウイラードよりナニよりカニより、“いんぐりもんぐり”が載っているのだ。
お客さんとして我輩は誰のライヴを観たっけ?
と、記憶をほじくってみると・・・
リアクション・・・後にツアーの模様を収めたビデオにも収録された日のライヴ。アルバム『TRUE IMITATION』と『REACTION』の間にやったツアーの公演。
シェイディ・ドールズ・・・『虫かごの街』が1曲目だった気がするからアルバム『THE BAND ON THE ROOF』のツアーとかかな。
COLOR・・・ミニ・アルバム『FOOLS GET LUCKEY』のときで、ドラムのTOSHIが怪我で欠席、このツアーはXのYOSHIKIとガスタンクのPAZZをヘルプに迎えて乗り切ったのかな?大宮ではPAZZが叩いた。
新曲を演奏するとき、DYNAMITE TOMMYは床に貼ってある歌詞のカンペを見ながら歌っていたな。
サブラベルズ・・・メジャーで2枚目のスタジオ・アルバム『ONE NIGHT MAGIC』発売記念のトーク&ライヴ。昼間のライヴで、無料招待制だったかな?
「キーチが病気で来れなくなったので、メンバー4人だけでトークのみにします」→メンバー・トーク→「キーチがなんと来てくれました!いまからライヴやります!」「ウォーー!!」とゆう流れがったんだが、あれは本当に病気のキーチが遅れて来たのか、ステージ前につめかけた客を一旦クール・ダウンしてトークを聴きやすくする配慮だったのか、ドッキリ的演出だったのか、他の理由でトラブルがあったのか。そのライヴに行った仲間達との推理は、あの後しばらくして大幅なメンバー・チェンジ、ファンからすると解散に等しい脱退劇があったので、どうもすでにこの頃からゴタゴタを抱えていたんじゃないか?とゆうことだった。実際のところはどうなのだろう?
X・・・Xは客として1回(かな?)、警備スタッフとして1回観ている。インディーズでフル・アルバムを出した後のXは各地でライヴ・ハウスの動員記録を塗り替えているような状況だったので、この日はフロアをロープで仕切り、前と後に分けてライヴが行われた。
高校生にセキュリティやらせるか!?って今となっては思ってしまうが、友人から話が回ってきた。
お金ってもらったんかな?忘れた。
通常、警備員はステージに背を向けて警備するがこの日の役目はフロア真ん中に張られたロープから客が前に行かないように抑えることだったので、背中でおしくら饅頭する要領でステージの方を向いて仕事をし、「ライヴが観れてこりゃラッキー!」とか思いながらやっていた。
でも途中、あまりのパニック状態で潰されそうになって怖かったけどね。
他にもいろいろ観た気がするけど・・・まあいいや。
高校の先輩が出演するライヴを観に行ったら、対バンがツアーで来ているインディーズ・メタル・バンドだったとゆうのはいくつかあったと思う。
そんな大宮フリークスだが、バンド・ブームも終わった頃か・・・騒音問題の立ち退きか何かで閉店してしまった。

あれ?こんなに通ったっけ??
バンドで使ってた練習スタジオに備え付けてあるのを持ってきたのが混ざってるかも。
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| 音楽 | 23:00 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
>シャライスタッフさん
ありがとうございます!恐縮です。
毎回薄っぺらい内容ですが、読んでいただけたらありがたいです!
| ジェフ・ゴールドスミス | 2010/07/15 12:27 | URL | ≫ EDIT