名球一代
Pink Floyd / Pulse

「ロジャー・ウォーターズが抜けてしまったピンク・フロイドと、ロジャーのソロとではどちらがエラいか」とゆう問いに対しては、「どちらも埋められない欠落があって、結局あの四人が揃っていたのが凄いんだ」という答えしか出てこないワケだが、音の再現性に勝るデヴィッド・ギルモア率いるピンク・フロイドの方が聴いていて気持ちいいというところではある。
ロジャーのライヴ・アルバム『イン・ザ・フレッシュ(In the Flesh Live)』に収録されている『コンフォタブリー・ナム(Comfortably Numb)』と、この『P.U.L.S.E』に入っているヴァージョンを聞き比べると、ロジャーの方はぶっちゃけ気持ちよくなかった。
アレンジが大きく違うわけでもないが、演奏している人が違うと感じ方がまったく違う。
エンディングのギター・ソロはどちらも泣きのギターなのに、ギルモアとの差は歴然だった。
アルバム『狂気』の全曲再現まで収録されている、『P.U.L.S.E』は発売してから数年の間、かなり頻繁に聴いた。
音として気持がいいから。
3人が“ピンク・フロイド”とゆう看板でやっているということも大きい。ロジャーとの裁判に負けていたら“ギルモア、ライト&メイスン”などとなっていたのだろうか?
それだとちょっと印象が変わってしまう。
音の再現性が高いために3人になったフロイドにアドバンテージがあったが、だからといって無条件で崇めるということではない。バンドの頭脳であったロジャーが不在というのは動かしがたい、とても大きな事実である。さすがのアンポンタンなボクチンでも、「出音がよければロジャー・ウォーターズなんていらないよ~ん」なんて思わない。
要するにだ・・・仲良くしようよ!ということなんだが、クイーンやドアーズなど、どうやっても替えのききそうにないフロント・マンが故人となってしまったバンドが再結成しても(クイーンは正式に解散してないけど)、ピンク・フロイドの確執は絶対解けないだろうと思っていたら、“LIVE8”で再結成が実現してしまった。
そして、リチャード・ライトが他界し、今度こそ本当に4人のピンク・フロイドは永遠に観ることが出来なくなった。
| 音楽 | 22:30 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
> hiroumi さん
そうですね。ロジャーも、フロイドに残った3人も、互いがあってこそで、『狂気』のときはそれぞれの役割が最大限に活かされて凄い作品になったんでしょうね。
そのバランスでずっとやっていくのは無理でしょうけど。
ぜひ、また電池を入れて光らせてください!!!
| ジェフ・ゴールドスミス | 2010/06/25 08:39 | URL | ≫ EDIT