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ジェフ・ゴールドスミス日記

ファッションとグルメ以外のこと。

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Janie Jones

 

Amazonの、 『ほしいものリスト』




















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Love's A Bitch

 

みんな、僕を探してね!






ちょっと種類詰め込みすぎたかな…





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テイク・ミー・ダウン・ビロウ

世界糖尿病デー

「今までの糖尿病治療指導がけっこうムチャクチャだったってことを書いてやる!」と思ったけど、去年の記事でもう書いていたので、その後一年の変化と補足ぐらいで。

超速攻型のインスリンは、6単位から、基本8単位に上げて、食べる量も増やしました。外食にときは、実際目の前に出された主食の量を見て、いつもの単位数にこだわらず増減して打っています。出された食べ物を残すなんてことはしていません。その後の経過を見るたびに担当の先生は「バッチリバッチリ。何の問題もない」と言ってくれているのでまあ大丈夫なのでしょう。当初のカロリー制限指導なんかやっていたら、40kg台の身体を引きずって、できる仕事なんてありません。きっちり重さを測るのは、主食のみ。その他の食材はもうてきとう。肉は「200gぐらいのを買ったから、それを昼と夜に半分ずつ」とか、そんな感じ。野菜なんて食べられるだけ。退院直後からしばらくの、野菜まで重さまできっちり量って食べていたのは、何だったのでしょう?あれに時間を割かれていたら日常生活はままなりませんね。芋、かぼちゃの類を食べるときは、控えめに取り、一単位多く打つという方法でほぼ間違いなく食後血糖値は良好に着地しています。てきとうといっても、どの食べ物が何の仲間かというのはもう把握しているので、それに沿ってはやっています。血糖値だけ安定しても、極端にバランスを欠いた食事をすると、諸々内臓に負担がかかると思います。そういった意味では、食品交換表も役に立っていますね。ただあれと睨めっこして料理を作っても、血糖値は安定しません。肝心なところの視点がゴチャゴチャになって指導されているというのが一番の問題だと思います。

最近になって、やっと炭水化物、糖質に着目した食事療法も広まってきました。ただ、もうどうやってもインスリンに頼る1型は、「糖質を制限する」というより「糖質を適量摂って、適量のインスリンを打つ」ということになると捉えています。

と、いうことで、このブログでだいぶ前に書いた料理の記事は、今の考えとだいぶ剥離した書き方となっているのであしからず。

ほぼ順調にいっている、日々のケアですが、今年になってやらかした大失敗がありまして、猛暑だったこの夏、しかも全国の最高気温に近い気温を記録した群馬県の炎天下を歩いていたら、インスリンを一本ダメにしてしまったのです。気付いたのは深夜になってから。夕食後二時間の測ると、とんでもない数値が。慌てて追加打ちし、一時間後に再度測ってみても、まったく下がっていないのでありました。「これは…インスリンが、死んでいる…」冷蔵庫からストックを出し、それを打って下げましたが、何時間もの間、血管に相当の負担をかけてしまいました。

あと、休日に遊ぶために出かけたら、早起きして準備万端で電車に乗ったはずなのにインスリンを忘れてしまったということがありました。しかもかなりで電車が走ってから…いまや、出かけるときに何か忘れても、たいがいの物は出先で手に入りますが、インスリンは途中薬局で買うといったわけにもいかず、反対方向の電車に乗り換え、家まで取りに帰りました。

もうひとつ、これはかなり初期の話ですが、ファミレスで食事を注文した後に、インスリンはあるのに針がなかったという事件があります。このときは、たまたま病院の近くだったため、いつも処方箋でインスリンを出してもらっている病院前の薬局へ行き、事情を話して針を出してもらいました。自分の指先ほどの針を持っていなかっただけで食事が出来ないということを実感し出来事でした。

そんな失敗があったり、たまにインスリンを打つ量の計算が外れて高い血糖値を記録することもありますが、直近のヘモグロビンA1c値は5.6なので、今のところ私が死ぬ予定はありません。この先は分かりませんが、今はないです。

| コラム・ネタetc | 20:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ロック・ウィル・ネヴァー・ダイ

“わじん”

中学一年のとき、俺とそめけんのいるクラスに、“大阪帰りの転校生”、わじんが登場したときの光景は今も覚えている。担任の教師に自己紹介を促されたわじんは、両の腕を大きく開き、その腕で教壇の端と端を前のめりにガシと掴み、低く抑えたトーンで「俺がぁ、大阪から来たぁ、わじんでぇす!」と、挑発的な、嵐を呼ぶ自己紹介をかましたのであった。そんな登場だから、席につく際、我がクラスの松浦悟こと、沖田のヒロくん的な人物に足を引っ掛けられて転び、大喧嘩を始めた。ということもなく、すぐクラスに溶け込んだと思う。

わじんは元々、こちらの小学校に通っており、親の転勤に伴い大阪へ行き、中学になって帰って来たのであった。俺は隣の小学校だったので初対面だが、必然的に学年の何割かは小学生時代を共にしていたので、周りとすぐに打ち解けた。

SF映画、香港映画、プラモデルなどの共通キーワードで、俺とそめけんにわじんが加わり、仲良しトリオとなった。

我々は、悪いズッコケ三人組よろしく、中学校生活を満喫していたが、昨日書いたように、青春のサンドペーパー、目の粗い摩擦により、そめけんと決別してしまった。トリオ編成からコンビとなった俺とわじんは、世のヤンキーたちが行う不良行為とはまた一味違った、非ヤンキーな悪行をはたらいていた。我々は学校の帰り道、通りがかる家で飼われている小型犬を、なでなでとかまうのが日課となっていた。二人がかまうので、犬は我々が来ると、尻尾を振って近づいてくるまでになついていた。ある日、「コレをこうやったら、コレはどうなってしまうんだろう?」と、犬のアレを、こうしてこうして、こんな感じでこうしてみた。すると、犬のアレは、こんな感じになってきたのである。それを、下校の度に繰り返していたら、なんと犬は、我々が通るだけで、アレをこんなポークビッツにして喜ぶようになってしまた。これがホントの、パブロフの犬。

そんな微笑ましい余談はさておき、趣味趣向において、わじんが俺に与えた影響は大きい。考えると、その後の人生が変わったといっても過言ではない。わじんは、ワルサーPPKのモデルガンを持っていた。それは、いかにも“小型の護身用拳銃”といった感じで、興味を引いた。「モデルガンで何の護身だよ!」なのだが、それを言ってはおしまいなので、気にしない。俺は、ためた小遣いでデトニクスのモデルガンを購入した。コルト・ガバメントでないところがひねくれてる。

大阪帰りのわじんは、スターウォーズのフィギュアをた沢山コレクションしていた。大阪だから売っているというわけはないが、舶来のおもちゃを集めるというのは、今まで周辺にない文化だった。たしか、そめけんと同じく、わじんともガンプラ他、リアルロボット路線のプラモデルで盛り上がったはずなのだが、ビジュアル的にその記憶が蘇ってこない。ないはずはないのだが、実際どうだったのだろう?って、知らないよね。

そして、わじんが俺に教えてくれたのが、音楽である。それまでの趣味とリンクした、ジャッキー・チェンの映画やスターウォーズのサントラから始まり、デュラン・デュラン、NENAやらカルチャー・クラブやらの洋楽ヒットチャートものへと進み、そこからHM/HRへとシフトしていった。マイケル・シェンカーも、クワイエット・ライオットも、わじんを経由して知ったのである。『FM STATION』を読むようになったのもそうだ。 俺は一人っ子なので、中学生がちょっと背伸びをするような趣味には疎かった。わじんだって長男で、妹がいるだけなのに、そのアンテナってどうなっていたのだろう?

今とは音楽ソフト小売店の勢力分布図が大きくことなる時代、秋葉原の石丸電気などを回って輸入レコードを買うのはもう冒険だった。知識のない俺は、ただわじんの後について行くだけだった。輸入盤の12inchiシングルや、ピクチャー・レコードなど、近所では手に入らない、甘味な響きのアイテムを、わじんは物色していた。

「高校に行ったらバンドを組もう」と二人は話していた。わじんはギター、そうすると、俺はベースだ。ん?ツイン・ギターとか、そういった話は出なかったな。今の少年少女は、中学生のうちから楽器を買ってバンドを組んでいたりするのだろうか?まあ、そういう時代だったのだ。当時は。二人は、雑誌に載っている楽器の広告や、メーカーのカタログを見ながら明日の姿を夢想していた。

二年生に進級し、別のクラスになっても、我々の友人関係は続いた。しかし、決別のときは突然やってきた。よく行く中古レコード屋でレコードを見ていた二人。俺はとくに買うつもりがなかったので、わじんが選んでいるのを待っていた。ところが、わじんは何分経っても買うものを決めない。どれくらいだったか、ちょっとありえない時間が過ぎた頃、俺は「まだかよ遅いんだよ!」と怒ってしまった。わじんもそれに対しキレて、どうしたんだっけ?俺が一人で店を出たのかな?翌朝、「かなり気まずいけどいつものように登校するため、迎えに行こう」とわじん宅を訪れると、すでに別の友達と一緒に家を出た後だった。「そうかいそういうことかい」と思い、一人で登校。そこで我々は絶交となってしまった。後から思うに、わじんは中古レコード屋で、何を買うか決めかねて長い時間迷っていたのではなく、俺と喧嘩して決別するきっかけを待っていたのかな?別のクラスになり、見えないところで友達の相関図も微妙な変化があったのかもしれない。そうすると、濃い友人が限りなく増殖するのではなく、一定のキャパシティから俺がこぼれる番が来たということだったのかもしれない。

わじんと決別した俺は、中学校の三年生をまた別の友人たちと過ごし、高校受験に合格したタイミングで、わじんと組むためのベースではなく、エレキギターを買った。高校に上がってバンドを組み、そこでギターを弾いた。一方のわじんも、同じ高校に進み、ギターを弾いていた。が、しかし、どこでどう変わったのか、わじんがギターを弾いていたのはロック・バンドではなく、吹奏楽部だった。ギターに関しては、スティーヴ・ルカサーに傾倒していた。吹奏楽部とルカサーというのは特に関係性はないが、当時のロック小僧たち多くがイメージする活動ではなかった。

そめけんのときと同じように、わじんとも決別して何年か口をきかずに過ごしてしまった。二年生のときに、ちょっとしたことをきっかけに二人は和解。ただ、クラスも違うし、ロック・バンド勢とはちょっと文化圏が違う感じで、合えば挨拶とちょっとした話をするぐらいの仲だったか。

高校卒業後、街でばったり会ったのをきっかけに、一度俺の部屋に招いて、近況というか、今はどんな音楽を聴いているとか、そんな話をしたと思う。と、思うというのは、ここら辺の記憶がかなり曖昧なのである。それくらい、記憶の奥底を掘り起こさないと出てこないわじんであるが、俺が高校卒業後、十何年にも渡ってバンドでギターを弾いたり、CD屋に勤めて生活していたのだから、俺にギターや洋楽を紹介したわじんには、やはり大きな影響を受けているのだろう。中学以来、モデルガンやスターウォーズ関連のトイには手を出していないが、おっさんになった俺は今、ガンプラを作って休日を過ごしている。 わじんやそめけんと遊んだ中一の頃あから、根本は変わらないのである。


うわーとりあえず、これはもうシリーズ化すんのはやめよう。いいことだけでなく封印していた嫌なことも同じ数掘り起こすのってすげーしんどい。つうか、この記事って誰も欲していないテーマじゃないか。誰だよお前。何セラピーだよ?

明日からはいままで通り、株とFXについてだけ書くよ。



そういえば、感じの悪い決別となった俺とそめけん、俺とわじんというラインは、高校に上がってから一応の和解を果たした。そめけんとわじんはその後、関係を修復したのだろうか?今度、街でばったり会ったら聞いてみよう。どちらとも15年以上は会っていないから、ばったり出くわす可能性は低い。





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ビート・イット・オン・ダウン・ザ・ライン


“そめけん”

そめけんとは、小学生では同じクラスになったことあったかな?忘れた。なっていなくても、互いの存在は認識していた。中学校一年で同じクラスになり、プラモデルや、ジャッキー・チェンらの香港映画、スターウォーズなどのSF洋画などで意気投合し、かなりべったりで遊んでいた。どのくらいべったりかというと、ある日そめけん宅へ遊びに行ったたら、2階のベランダで布団を干していたお母さんに「そんなにずっと一緒に遊んでいると勉強が疎かになるから遊ばせない!」と怒られるほどだった。

かなりプラモデル作りに入れ込んでいた二人。タミヤの1/35兵士プラモデルを改造し、俺は“左腕にサイコガンを持つ男”コブラを、そめけんは“酔拳のポーズ”をとる、ジャッキーチェンを作って、常連として通っていたインバ模型に飾ってもらった。中学一年生にしては俺もよく頑張ったと思う。しかし、そめけんはさらにその上をいき、名作として名高いタカラの1/24スコープドッグを改造して、降着ポーズととらせることに成功してしまった。それをまた、インバ模型のショーウインドに飾ったのである。ホビージャパンを毎月読み漁っては、載っている作例と同じような改造をしようと妄想し、未完成品ばかりが増えていく俺を尻目に、そんな改造キットをそめけんは完成させていた。細かい出来栄えは思い出せないが、とにかく直立姿から降着ポーズに可動し変化するのだ。

その後、そめけんと俺に、“大阪帰りの転校生”わじんが加わり、しばらくは見事なトライアングルを形成し遊んでいた。わじんに関して、詳細はまた今度触れるとして、しばらく続いていたトライアングルのバランスが崩れるときがきてしまった。いつしかそめけんの自信家っぽい部分が二人の癇に障るようになってきて、俺とわじんはそめけんと距離をおくようになる。今思えば、結託してそんなことをするのは、こちらが悪い。そうなると、表立って喧嘩こそしなかったが、そめけんは昔の仲間とつるむようになり、敵対勢力のようになって険悪な関係に変わってしまった。そめけんは以前から一貫してそめけんなので、彼が変わったのではなく、がっつり向き合って付き合える友人の容量がオーバーすると、今まで見えなかった、気に入らない部分を拾って見てしまったのだろう。

俺とそめけんは互いに口も利かないまま数年間を過ごした。それで終わるかと思われたが、我々は同じ高校に進学し、二年生で同じクラスになった際に和解。高校生の二人にはもうプラモデルの話も出なく、俺はバンド、そめけんは何だっけ?バンド人間ではなかったし、親友といった間柄には戻らなかったが、卒業まで同じクラスで、そこそこ友好な関係を保って卒業した。二十代のときに偶然、地元の駅でばったり会って、数分間立ち話をした。


とくにオチがないや…

このシリーズはあまり長く続かないようにするので…

今はなんとなく、トピックもない旧譜のレビューを書くモチベーションがないからなんだよーん。




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