「なんか最近、自分のブログにUPした画像がボケて見えるな~、メガネの度が合わなくなってきたかな~」・・・と思っていたら、ケータイカメラのAFがオフの設定になってたヨ!
渋谷陽一 / ロックミュージック進化論
昨日取り上げた『ロック ベスト・アルバム・セレクション』と対になるような内容の本です。
『ロック ベスト・アルバム・セレクション』はアルバムごとの評論でしたが、こちらはビートルズからパンク・ロックまでをムーヴメントごとに考察する内容。
まず、ビートルズについて3章・・・私的な思い出、ビートルズがブレイクした時代背景とその必然性。そしてジョン・レノンについて。
『ブルース・ロック』の章では、ヤードバーズをキーにロックと黒人音楽の関係を。
アル・クーパー、マイク・ブルームフィールドを中心とした『スーパー・セッション』。
ウエスト・コースト、フィルモア周辺の『サイケデリック・ミュージック』。
時代の終わりを象徴するように死んでいった3人、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンを取り上げた『六〇年代のロック』。
ディープ・パープルなどの『ハード・ロック』。
『グランド・ファンク』の章では後楽園球場コンサートや新宿のロック喫茶DJ時代の個人的な思い出を語っています。
ジミー・ペイジと黒魔術『レッド・ツェッペリン』。
キング・クリムゾンとピンク・フロイド。『プログレッシヴ・ロック』。
マーク・ボランとデヴィッド・ボウイを核にロックの持つ虚構性について考える『グラム・ロック』。
そして、セックス・ピストルズをはじめとする『パンク・ロック』が、巨大化、保守化したロックに与えた影響・・・
こうして並べてみると、2010年の現在、『スーパー・セッション』って他のムーヴメントと比べてかなり忘れられているとゆうか、オールド・ロック・ファンだけのものになってしまっているような・・・
あ、『フィルモアの奇跡』ちゃんと聴いてますよ。
書き下ろされたのが1980年ぐらい、パンクやニューウェーヴによる構造改革直後なので、破壊によるカタルシスを追求するだけの存在になってしまったハード・ロックについては批判的に書かれています。今でも基本姿勢は変わりませんが、だいぶ寛容にはなっているようですね。
10年後の文庫化にあたって、書き下ろされた時代との欠落部を埋めるべく、後半は山川健一、ピーター・バラカン両氏との対談を追加収録しています。
山川氏とはジョン・レノンと、当時初来日を果たしたローリング・ストーンズを中心とするポップ・ミュージックの流れについて。
ストーンズとブルースへのロマンをスピリットの面から語ろうとする山川氏と、現実主義で「ロックは常に時代と向き合って進化しなければいけない」と考える渋谷氏と噛み合わなさが面白い。
バラカン氏とはモータウンやスタックスといったレーベルや公民権運動の話。
そしてスティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、スライ等の'70年代のアーティスト達、レゲエ、そしてプリンスについてなど。
この対談では、黒人音楽について造詣の深いバラカン氏に対して渋谷氏はどちらかとゆうと聞き手となって黒人音楽の歴史についてレクチャーされているといった感じです。
本編が網羅しているのがパンク・ムーヴメントの時代までですが、『ロック ベスト・アルバム・セレクション』と合わせて読むことによって、だいぶ系統立ててロックが理解できたと思います。
世の中に溢れる音楽、バラバラに散っている中から直感的に好き嫌いを判断してチョイスし、買ったり聴いたりする関わり方もありますが、私は誰かアーティストから関連アーティストへ、そのルーツへ・・・何か作品から関連作品へと連想ゲームのように枝葉を伸ばしてゆく聴き方を好んできたように思います。
それがどうかしたのかと問われると困ってしまいますが・・・
つまり・・・
ファッション誌に載ってたからって、大学生が一回も聴いたことないAC/CDのシャツを着てんなよってことだな。
と、無理矢理オチをつけたところで、バイナラ!